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【衆憲法審】玉木代表が日本国憲法に密接に関連する基本法制などについて発言
玉木雄一郎代表(衆議院議員/香川2区)は11日、衆議院憲法審査会に出席し、日本国憲法に密接に関連する基本法制などについて発言を行った。内容は以下の通り。
憲法審査会発言要旨(2023年5月11日)
まず、緊急集会について、少し大きな枠組みの話をさせていただきたい。私は憲法の統治機構を規定する条文は厳格に解釈すべきであって、無理な解釈は避けるべきと考える。昨年2月、本審査会に参考人としてお越しいただいた高橋和之東大名誉教授も、「憲法の条文で人権に関する規定は『原理』の性格を持つのが常識であり、統治機構の規定は『ルール』の性格を持つのが通常であると解されています」と述べられた。そして、「原理」は「ルール」のような明確な要件を定めたものではなく、他の原理との調整を前提とした規定だが、一方「ルール」は他の原理との調整を予定していない明確な準則であり厳格に解釈すべきとしている。
であれば、まさに統治機構の規定の一つである「緊急集会」を定めた憲法54条も「ルール」として厳格に解釈適用すべきであって、緊急集会は解散時のみに適用と書いている以上、解散時にのみ厳格適用すべきと考えるのが適切ではないか。また、解散から40日以内に総選挙、そして選挙から30日以内に特別会の開会が憲法に規定されている以上、緊急集会は、70日を超えて国の重要事項を決定することはできないと解すべきだし、さらに、事後的に衆議院の同意が得られなければ措置の効力が失われる「暫定性」も憲法上明記されている以上、緊急集会はあくまで一時的、暫定的な仕組みであると厳格に解釈すべきである。そもそも、緊急集会の権能を解釈で無制限に広げることは、二院制を原則とする憲法の規定に違反すると考える。ここでの本質的論点は、行政vs国会ではなく、国会における一院制(片肺)vs二院制(両肺)の是非なのである。
立法や解釈で「一時的・臨時的・限界的」とされている緊急集会の射程を伸ばしたり拡大することは立憲主義に反することなり、よって、憲法に明記されている議員任期を延長するには、やはり憲法改正が必要と考える。そこで来週は、4つの論点について参考人に確認したい。すなわち、緊急集会で対応できる①場合(解散時のみならず任期満了時も含むのか)②期間(70日を超えて可能か)③権限(本予算の議決や条約の承認等も可能か)④案件(内閣が示した案件以外も独自に審議可能か)。その上で、やはり立法や解釈では対応困難となれば、その時は、野党第一党である立憲民主党にも、ぜひ憲法改正の具体的議論に入っていただくことをお願いしたい。
次に、憲法9条について述べたい。前回、自民党の9条改正案の問題は、自衛隊の「組織としての違憲論」は解消されても、自衛権の行使という「行為についての違憲論」が解消されないことであることを指摘した。つまり、自衛隊が、9条2項で禁止されている「戦力」なのかどうかを曖昧にし続けるが故に、自民党案の「国防規定」では違憲論を解消することができないのである。やはり、9条改正を検討するのであれば、自衛隊を「戦力」として位置付ける本質的な議論を行うべきであって、戦力不保持を定めた9条2項の「範囲の中」で「解釈」によって自衛隊を「戦力もどき」と位置付けるやり方そのものを改めるべきである。
この点に関して、1952年4月1日のジュリストの対談記事がとても興味深いので紹介したい。我妻栄、宮沢俊義、田中二郎、兼子一、石井照久、団藤重光という、法学会のスーパースターが勢ぞろいをして「憲法改正と再軍備」について誌上対談を行なっている。時は、1952年、まさに、警察予備隊が保安隊に改編される前夜での議論である。そこで我妻栄先生は次のように述べている。「再軍備のような憲法制定当時にはおそらく考えられなかった問題でも、憲法をいじくらないでそのままやって行こう、またやって行けるという態度を取ることには、私は賛成できないのです。それで、やはり重要な問題については憲法の無理な解釈をしないで、それを堂々と取り上げて、国民全体の与論を聞いて、十分論議を盡した上で改正するかしないかを決めるという公明な態度をとる必要がある」これに対して、田中二郎先生も「根本の考えにおいて、私は今我妻先生のおっしゃったところに全く賛成です」「憲法をルーズに解釈してずるずるに、あたかもそれを改正したのと同じような実質的内容を与えていこうということは考えものです」と述べている。また我妻先生は、こうも述べている。「この憲法のもとにこれ以上のことをやるのは何と言ってもこじつけだ。そこで事情をはっきり示して、国会でも十分討論して、最後には国会の意見を聞いて、こうした事情、ああした事情でできた憲法がこうした国際事情になった時に、我らは何をなすべきかということをはっきり決定すべきではないか。つまり抜足差足では困る。ここでちゃんと歩き直さなくちゃならぬのじゃないか。」これに対して、宮沢俊義先生も「私もその意見に賛成です」「こういう難しい問題については、やはり国民全体が十分討議して、決定するチャンスを与えることは非常に望ましい」と述べ、田中二郎先生も、これに対して「私も全く同感です。」と述べている。また、団藤重光先生は「国内の秩序維持のために客観的に必要な限度ということが警察力の本質なのでそれを超えると戦力になる」「国内秩序の維持のために使うのだから警察力だ、戦力じゃないのだというのは非常に乱暴な議論だと思う」とも述べ、石井照久先生も「それは全くそう思います。」と賛同の意を示している。
このように、警察予備隊から保安隊への改編時の1952年当時から、「戦力」に相当する実力組織を無理な解釈で「戦力ではない」とすることは「非常に乱暴な議論」とされていたわけである。あれから70年以上の月日が流れ、今、憲法9条改正の議論をしている時に、依然として自衛隊は戦力ではないとする「解釈」を前提に進めることは、積年の宿題に答えを出すものどころか、むしろ長年引き摺ってきた「こじつけ」を固定化させることにつながるのではないか。今こそ、これ以上の「抜足差足」忍足ではなく「ちゃんと歩き直す必要」があると考える。
憲法9条こそ、軍事的公権力の行使という最大の統治行為に関する規定である。まさに厳格に解釈すべき「ルール」「準則」であるはず。だからこそ、無理な解釈から卒業し、自衛隊を明確に戦力と位置付けることが、憲法の規範性を回復する上でも必要であることを指摘しておきたい。
以上